鉄板質問
ナマステ
ネパールでいつも聞かれる質問についてご紹介したいと思います。
1. サンチャイ フヌフンチャ?(お元気ですか?)
2. カナ カヌ バヨ?(ご飯食べた?)
3. ビバハ ガレコ チャ?(結婚されていますか?)
この3つが必ず聞かれます。
1つ目の質問については、英語圏でも「How are you? , What’s up? , How is going everything? etc 」 日本だと、「こんにちは、お元気ですか?」と言いたいですが今時このような文章を使う人にあったことはありません。現在の日本では「こんにちは」や会釈するなどが多く見られます。
2つ目の質問については、ネパールでは痩せていると体調が悪いのかと心配されます。食べることは重要なことなので、常に「カナ カヌ バヨ?」と聞かれます。ちなみに、ネパールは1日2食(朝、夜)という文化なのですが、カジャと呼ばれる間食をお腹が空いたら食べるようです。つまり、一日3食またはそれ以上食べております。
3つ目の質問については、ネパール人は早い年齢で結婚するのが当たり前なので27歳の私が結婚してないというと「キナ?(なんで?)」と言われます。「私にも色々あって、、、」と言いたいところですがまぁその話は私の心の中に仕舞っておきます。そう、話は戻り「ネパール人と結婚しなよ!」と必ず言われます。そして「日本に連れてって」ともたまに言われます。
ざっとこんな感じです!
祭り男
3/1 ハッピー ホーリー(ティカ=色粉と水を使用)
このお祭りは過去にあった辛いことなどをすべて忘れるためのお祭りです。
ティカ(普段はネパール人やインド人がおでこにつけているやつです)を顔に塗るのですが最近は顔だけに収まっていません。
そして、塗りたくってから水をかけられ、水をかけそしてさらにティカを塗り、水をかけられ、水をかけの繰り返しです。気が済むまでします。そして出来上がったのがこの顔ですw
この日は、子供も大人も盛大にこのお祭りを楽しんでいる姿を見て、「お祭りをみんなで楽しむっていいな」って思いました。
ちなみに、「まちおこし」の側面からお祭りを考えると、お祭りを通して地域の仲を良くするだけでなく、地域外から集客することもできる。
そして、この土地いいな、この土地に住みたいなと感情を抱かすことができればその「まち」に人は集まり、さらに活性化されるのではないだろうか。
「お祭り」には無限の可能性を感じますね:)
東日本大地震から7年...
3月11日
東日本の復興をして今では問題なく生活できていますが当時は本当に悲惨な状況でした。
我が母県である広島県も原爆から70年以上経過しました。自然災害、人災など様々な要因はありますが、復興するスピードが日本はとても素晴らしいと思います。
ネパールに来てネパールの大地震の影響を確認しますが、建物の耐震性自体も含めてまだまだ復興に時間がかかりそうだと感じます。
それと自然災害についてですが、これはまさに環境教育と防災の重要性を伝えることが出来ると思います。
確かに、自然災害を全てなくす・防ぐことはできませんが環境が崩れなければなくなる災害もあります。
または、防災を学ぶことで被害を最小限に抑えることができると思います。
このようなことについて少しでもいいのでネパールの人達に伝えていこうと思います。
アッツアンマラギョシリーズ 其の一
ネパールでの道路の渡り方について
日本では「信号が青に変わったのを確認して、右・左・もう一回右を見て手を挙げてわたりましょう」
ですがネパールには信号があるにはありますが、電力不足や政治的観点から使用されていません。ちなみに信号があるのは私の目で見た感じ首都くらいです。信号がないので、渋滞が頻繁に起きています。
その際は、警察官が手信号をして交通整理を行っています。DJポリスならぬ、Hatポリスですね!
それではどうやって渡るのでしょうか?
答えは、「左右を確認しながら歩いてドライバーと目を合わせながら(手を使えばさらに良い)注意深く渡るということです」
ここで重要なのが決して走ってはいけません、歩いて渡らなければなりません、走ってしまうとその車の側面から来ているバイクや車にぶつかってしまう恐れがあるからです。
ネパールでは、日本のように車が必ずしも悪くなるのではなく、歩行者にもそれなりの責任があるという考え方です。
結論:自分の身は自分で守る
1・2月の総まとめ
灯りをつけましょ雪洞に~♬ ひな祭り!
今日はブログを書くと言いながら3月まで引き伸ばしていたので、1月どんな生活を過ごしたか記したいと思います。
日本やネパールで新年会、送別会など様々な場を用意して頂き、ホントに家族・友人・関わってくれた人々に感謝です。そして、1/11にネパールに到着し、同期11人+短期2人とドミトリーでひとつ屋根の下で1ヶ月生活をしながら1ヶ月間過ごしました。
ネパールについた当初は生活していてアッツアンマラギョ(ネパ語でびっくりという意味)することばっかりでしたが、今ではもうそれが普通になってしまっています。(笑)
その話については今後書いていきます。
さて、語学学校で1ヶ月語学実習をしながらネパールの生活に慣れるということでカトマンズの世界遺産や学校、近くの村など様々なところに訪問しました。現地の人と触れ合うことで人々の性格や値切りの方法など多くのことを学びました。私自身は特に値切りの方法を学びました。
任地先へのプレビジットではネパールの公共交通機関について深く学びました。日本の公共交通機関の素晴らしさも改めて実感しました。
そして、2/23から任地のグルミ郡レスンガ市役所でお務めさせていただいております。現状は分からない点ばっかりですが、これからしっかり考え、ボランティアさせていただこうと思います。
ざっくりと書きましたがこんな感じです。以上。